(K.K) ユーカリが丘イオンの真中の道路の先右手側に雑木林があり、良く見ると国指定遺跡井野長割遺跡とありました。
昭和44年(1969)、遺跡の隣にある井野小学校の建設の際に発見されたそうで、佐倉市と慶応義塾大学が共同調査。
縄文時代後・晩期(今から約4,000年~3,000年前)に造られた「環状盛土遺構」を伴った遺跡だそうです。
縄文時代に人が住んでいたユーカリが丘の地に山万がニュータウンを建設し、また新たに(再度)人が住むというのは面白いかなと思いました。
【井野長割遺跡】 〔国 史跡〕 | 千葉県佐倉市公式ウェブサイト (sakura.lg.jp)


(M.T) ユーカリが丘の縄文遺跡報告、興味深く拝見しました。
染井野地区にも吉見台遺跡があり、縄文後期には海進によりこの辺りまで海であったということでしょうか。
山万の高層マンション群とイオンタウンのある現在からは想像もつかないことです。
(R.N) 大変興味深く感じました。
M.Tさん同様、直ぐ連想したのが、吉見台遺跡です。当該遺跡も縄文時代後・晩期だそうです。
以前紹介しました下記資料に「縄文から弥生時代の印旛沼は、現在の鹿島(茨城県)や銚子(千葉県)の方向から内陸に向かって広く開けた「古鬼怒湾(こきぬわん)」と称された内海の一部で、印旛浦と呼ばれていました。」とあります。
https://i-kouiki.jp/imbanuma/environment01.html
約1000年前の香取界や印旛浦の様子より更に古く、印旛近場の内海の塩分濃度はより現在の海と変わらなかった程度かなと勝手に想像しております。
更にこの時代は、海の幸(貝や魚)に恵まれていて、定住に適した環境だったのだろうか。
八十四石米の産地一面もひょっとしたら海水に覆われた状況だったのか。等々想像たくましくしております。
(S.F) やはりこの辺は大昔からヒトが住みやすいところだったんだな~と。
眼下に広大な入り江が広がる光景を想像、 井野や吉見台の古代人も満足してたんだろうなと。
偶然住み着くことになったこの地、自分も満足しています。