(S.T) 今日の畔田風景写真をLINEでユーカリが丘方面の知人に送ったところ、”返礼”に佐倉に伝わる風習
「井野の辻切り」なるYouTubeが届きました。同じ佐倉の住人として面白い話題だなぁと、みなさんにもシェアさせて頂きました。
冷えびえとした手繰川ですが、一部の田んぼでは土壌改良作業も怠らず、春に向け黙々と作業をされてました。昔は機械もなく協力しての作業だったんでしょうね。










(M.T)井野地区に「辻切り」という名で、疫病・災厄除けの風習がまだ残っているのを初めて知りました。
各地にある村落の古い風習ですね。ある村では大草鞋、ある村では稲束で武将姿を作って村の境界に置く。
疫病や災厄の侵入を阻む狙いの昔からのおまじない。鳥取出身のS.Fさんの所でもあったのではないかと。
以下、ご存じのことでしょうが・・・起源は「蘇民将来」で、いまでも岩手に蘇民祭として残っています。
昔々ある神様が旅の宿を求めたところ、裕福な弟はボロボロな姿を見て断り、兄の家は貧しいが泊めてやった。弟に怒った神様は弟一家全員を殺してしまった。神様は兄の娘には茅の輪を与え、これがお守りとなって兄一家は何事もなし。それ以後、家の門口にお札で「蘇民将来」と貼り、つまりここは蘇民の子孫であるから疫病や災厄から逃れられるという伝承につながった。
井野の風習はこれに通じる話ですかね。形は大蛇に変化しているとはいえ、井野の人たちが連綿と守っているのを驚くと同時に感心しています。